混沌としていた駅西地区

名古屋駅西地域は,国鉄東海道線をはじめ,中央・関西の各線が名古屋駅に入り込むため,広大な構内によって都心と分断された状態にあって立ち遅れを余儀なくされていた。
駅西地域は戦後物資難のなか,ヤミ食料品を主とした露店やバラックが立ち並び,空き地はもとより道路予定地などの公共用地にまで無秩序に無断占拠し,その数200戸が密集する状態にあった。各地から流れ込んだ自由労務者がタムロし,暴力沙汰,犯罪などもしばしば起こり,人々はここを「駅裏」と呼んで眉をひそめた。


駅西都市改造事業

昭和21(1946)年6月戦災復興土地区画整理事業が計画決定され,昭和34(1959)年12月,駅西都市改造事務所が設立されて,事業の推進が図られることになった。このころ,国鉄新幹線計画の決定をみたので昭和35(1960)年5月,新幹線用地の確保等の事項を取り入れて駅西都市改造事業の計画変更が決定された。
特に新幹線計画による計画変更に即応することが求められ駅前広場とそれに通ずる幹線道路が計画されたが,ヤミ市など抵抗勢力,移転先などの問題が山積みであり,区画整理には長い年月を余儀なくされた。


自動車交通量の増加

駅西の改造事業は昭和35(1960)年以降,駅西都市改造事務所によって地元との話し合いが進められていた。


現在の駅前広場

話し合いでは新幹線高架下を商店街として利用できないか,新幹線が整備されると自動車の駐車スペースが少なくなるので駅前広場で駐車場の経営はできないか,などの意見が出され改造事業への関心は高まりつつあった。

このころ,駅西地区の自動車交通量は増加し,駅西道路の通行量は1日1万1,000台,駅西の駐車台数も1日300台に達するほどであった。
昭和37(1962)年名古屋市は,この地域を駐車場整備地区に指定し,新幹線駅前広場造成の際,そうした設備をあわせて計画することが必要でないか検討していた。


名古屋駅西駐車場株式会社

昭和38(1963)年7月の駅西改造事業の話し合いで「この際,市が検討していると伝えられる駅西口駐車場の地下駐車場を,地元の将来のために我々の手で建設しようではないか」との意見が出された。 一同はこれに深い関心を示しながらも,大事業になるため結論には至らなかったが,建設会社とともに検討を深めることとなった。

その後,「商業立地は極めて厳しいのではないか。」「巨費を投じて建設しても,将来の展望はどうか」などと協議を重ねるうち,昭和38(1963)年12月の会合においてついにこの事業を地域開発の礎石と位置付け,決議された。

昭和39(1964)年5月7日,名古屋駅西駐車場株式会社が創立された。



事業特許取得へ向けて

事業が本格化した昭和42(1967)年1月,建設会社から技術者の出向を得て,基本設計の作成,工事に関する市との折衝を進めた。工事は道路や駅前広場など公共用地の地下を占用するため,厳しい制約が付された。設計は修正を繰り返しながら,関係各方面の指導・協力を得て昭和42(1967)年5月,大綱をまとめた。

工事は第1期と第2期に分かれ,規模は次のようなものであった。


第1期工事
新幹線前広場およびそれに西接する駅前道路(椿町線)の地下に公共通路と地下街(地下1階15,350m2)と地下駐車場(地下2階12,930m2)をつくる。

第2期工事
駅前広場の国鉄用地地下全面(3,100m2)に地下街および駐車場をつくる。


事業施工の特許申請にあたっては国鉄駅前広場という高度に公共性を持つ場所であるため資本構成などに公共的性格が求められた。この点を国鉄に指摘される。このため現株主全員が持ち株の2分の1を放出し,各方面へ資本参加を求めた。同時に役員構成も見直された。
紆余曲折を経て,昭和43(1968)年3月27日,建設大臣から事業の施工が特許された。
会社設立から3年6ヶ月のことであった。


エスカ開業へ向けて

昭和42(1967)年4月ごろから経営コンサルタントなどと共に地下街営業について検討を進めた。 地下街の立地は極めて厳しいものであるうえに,近隣する駅東地区は商業集積度も高く,加えて地域内の補完性も備わっていた。そうした状況のなかで発展を図るために大網を次のようにした。

1.嗜好性も多様で購買力も高く移動性も激しいOL,次いで若い男性層を主客層とし若者の街を目指す。

2.中心客層に対応する,婦人・紳士用品関係の魅力ある専門店を主力業種とする。

3.主力業種を中央公共通路入口に優先配置し,以下,比較購買や関連商品のショッピングがスムーズに楽しめるよう関連業種を配置するとともに,それぞれの個性のある同一業種をグルーピングして,見易く買いやすいよう配置する。

4.旅行客のために名古屋の代表的銘菓特産品店を,中央入口南側の駅に近い最適の位置に配置する。

5.飲食部門はターミナル地下街として必要な部門であり,その配置は主として南側に格調の高い大・中型飲食店とレストランを,北側に軽飲食,珈琲ショップを,そして全域に喫茶店を効果的に配置する。

昭和43(1968)年12月,ペットネームを「エスカ」と決めた。
会社PRを兼ねて愛称は公募によることとし,100余点の応募を受けた。その中から9種を選び,さらに「エスカ」「ニシチカ」の2種に絞られ,社長の決定により「エスカ」,アルファベットで「ESCA」と決定した。

E=駅西,S=ショッピング,C=センター,A=アベニューの意で識別も語呂も良いとされた。


エスカ開業

昭和45(1970)年3月12日。名古屋駅西口正面広場において起工式が行われた。
そして昭和46(1971)年12月。エスカ開業を迎えた。


マクドナルドエスカ店

CAFE DE CRIEエスカ店

山本屋本店エスカ店



※参考文献
エスカ15年史


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