名古屋電気鉄道

現在の名古屋鉄道のルーツは名古屋の市内線を経営していた名古屋電気鉄道までさかのぼる。名古屋電気鉄道は各地の市内電車公営化の動きを見て,郡部線の経営に当たることを方針とし,明治43(1910)年5月6日市内線の延長として押切〜枇杷島間1.9kmを延長,開業した。


現在の岩倉駅
郡部線最大規模を誇った

明治45年(1912)年3月,軽便鉄道法による免許に切り替え,大正元(1912)年8月6日枇杷島橋〜西印田間と岩倉〜犬山間合計31.5kmを開業した。押切町駅は郡部線と市内線の乗り換え駅として営業を開始した。
名古屋電気鉄道はその後市内線の拡充とともに尾張北部に郊外線の建設を進めた。この頃は全国的に軽便鉄道ブームで多くの鉄道が開業した。

大正9(1920)年市内線の市営化の動きが具現化し,大正10年(1921)年に新会社名古屋鉄道を発足させ市内線を名古屋市に譲渡した。

昭和5(1930)年に美濃電気軌道と合併して名岐鉄道と社名を変え,昭和10(1935)年に各務原鉄道を合併,押切町〜新岐阜間全通によって尾張地区全体に路線網を持つようになる。さらに昭和10(1935)年に神宮前〜吉田間・常滑間に路線を持つ愛知電気鉄道と合併して名古屋鉄道と社名を変えた。

名古屋私鉄は,名古屋鉄道にほぼ統一された。



新名古屋駅の開業

名古屋鉄道を発足したものの旧名岐鉄道の西部線起点は押切駅。旧愛知電気鉄道の東部線起点は神宮前駅と離れていた。東西両線を連絡する機運はすぐ高まることとなった。これは国鉄の名古屋駅前に乗り入れることも兼ねていた。

西部線側は昭和12(1937)年7月工事が開始された。笹島から移転した新しい国鉄名古屋駅に乗り入れるため栄生〜名古屋駅前間を地下化することにした。
工事はオープンカット工法で行われたが,土留め用の鋼工板不足のため中断が続いた。レールも購入の見込みがつかず,最悪の場合は閑散線区のレールをはずし流用することも検討されていた。昭和16(1941)年8月乗り入れ工事は完成した。名古屋乗り入れに4年2ヶ月の歳月を要した。

いっぽう東部線側は用地取得やルート変更,戦争の激化により順調にはいかなかった。 昭和17(1942)年8月着工。昭和19(1944)年9月1日にようやく,新名古屋〜神宮前間5.8kmの単線が開通した。
笹島地区の高架は物資不足のため枕木を積み上げた木製であった。





昭和34(1959)6月新名古屋駅 急行豊橋行き
3400系「いもむし」停車中 (撮影:むーさん)


平成17(2005)4月 名鉄ビル(名鉄名古屋駅)




※参考文献
名古屋の駅の物語 中日新聞社
名古屋鉄道100年史
写真提供:むーさん
※駅アナウンス素材
Sound of Station


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